社会貢献への取り組み

全互協の社会貢献基金制度

助成先団体結果報告

8. 國學院大學 神道文化学部 教授・副学長 石井 研士

テーマ

戦後における結婚式の興隆と産業界

概 要

戦後、結婚式・披露宴が一般化していく過程において産業界が果たした役割について調査研究する。結婚式場の形成、披露宴における様々な意匠がどのように形成されていったのか、インタビューと新聞・雑誌記事から考察する。

調査内容

本事業は、戦後、結婚式・披露宴が一般化していく課程を結婚式との関わりで調査研究することにある。
それまでは家庭や神社の社務所あるいは蕎麦屋や料亭で行なわれてきた結婚式・披露宴は昭和40年代後半から次第にホテルや結婚式場へと場所を移していく。昭和50年代になっていわゆる「派手婚」も広がりを見せ始め、結婚式と披露宴を分離し、しかも多人数の披露宴が定着する。この定着過程にあっては、人々がこうした形式を望んだというだけでなく、結婚式産業が「提供した」ことの意味が大きい。結婚式産業は、利益優先で事業を展開できたのではなく、同時に当時の人々の幸せを確認する儀礼作り得たからこそ、成立した現象であった。

互助会の事業内容を見ていくと、創世記は冠婚とくに結婚式産業としての事業拡大を続け、ある時期に葬祭へと足場を移していくことがよく理解できる。
互助会の草創期に活躍された方々へのインタビューでは、「なぜ多くの人々がホテルや専門式場で結婚式を挙げるようになったか」という問いに答えは「人並み」であった。一億総中流と言われるように、生活に人並であるという余裕が生まれ、地域社会や親族構造に緩みが見られるようになった時点で、指向性に分化が見られるようになる。つまり集団の中に埋没することに対する抵抗感と、より自分の趣味や趣向を前面に押し出したいと人々は考えるようになっていく。とくに、人生の重大な区切り目である結婚式に個性を反映させたいと考える人々が登場したのである。「人並み」に満足しながらも、それで個性を求めようとしたとき、結婚式・披露宴はあれだけの実施率と豪華さが追求されたと考えて良いだろう。