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年度別助成先団体活動報告
平成28年度~令和3年度の助成先団体活動報告は、(一財)冠婚葬祭文化振興財団をご覧下さい。
http://www.ceremony-culture.jp/social/service/fund/result-report/
平成26年度
任意団体 ARTS for HOPE(東京都)
障がいを持つ子どもたち・人々へ表現の喜びと豊かな創作体験を運ぶ芸術活動
- テーマ
- 「障がいを持つ子どもたち・人々へ表現の喜びと豊かな創作体験を運ぶ芸術活動」
- 概 要
- 障がいを持つ子ども達の豊かな心を育み、人々とのコミュニケーションを促す芸術活動を実施する。子どもたち一人一人が自己表現を行い、表現する喜びを体感・体験できる芸術活動を通して、子ども達の豊かな創造力を育む事業。
- 実施内容
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障害を持つ子供たちを対象に5ヶ所で事業を実施した。
①2015年4月22日/宮城県仙台市宮城県立聴覚支援学校
- 参加者:1年生~6年生の30名の聴覚に障害がある児童、教員20名。
- 多様な画材を用いて巨大キャンパスに描く活動を実施。今回作成の団体作品1点、個人作品1点が「第1回Art to You! 東北障がい者芸術公募展」に入選。
②2015年7月17日/福島県郡山市福島県立郡山養護学校
- 参加者:福島県立郡山養護学校4年生の子どもたち15名と教員15名。
- 全身で色を楽しむ活動を。学芸会の背景作品として使われ、学芸会で作品を見た保護者から感激の声が上がった。
③2015年9月29日/福島県石川郡石川町福島県立石川養護学校
- 参加者:小学部46名。
- 巨大キャンパスに絵を描く活動を実施。思い切り色に触れ、心と体を解放していく子供たちの姿に、先生方からも大きな笑顔が溢れた。完成した素晴らしい6つの作品はこれから校内に展示されている。
④2015年10月27日/福島県福島市 福島県立聾学校福島分校
- 参加者:小学部18名、教員15名
- 図工の授業の時間に連動して創作活動を実施。自分の分身「ぼく、わたしをつくろう」を全校生徒がみんなで、世界にたったひとりしかいない自分という「一番の仲間」を創り上げた。
⑤2015年12月5日/宮城県仙台市仙台市福祉プラザ
- 参加者:聴覚に障害を持つ子供たちや家族に障害を持つ方々約90名
- 「第19回ろう教育を考えるつどいinみやぎ」にて巨大キャンパスカラーリング、クリスマスオーナメント作りなどを作成。アートによる心の交流により、家族のコミュニケーションが増え、参加者の表情がみるみる明るくなった。
- 参加者のコメント
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- 活動の後の子どもたちの表情が一変し、達成感であふれていた。
- 大きな絵を描く活動を通じて、子どもたちはのびのびと自由に描き、気持ちが開放され自分を表現出来る空間になっていた。
- 麻痺がある手を伸ばそうしている、いつもは見せない意欲的な姿に驚いた。
任意団体 北河内成人のつどい実行委員会(大阪府)
第15回 北河内成人のつどい実行委員会
- テーマ
- 第15回 北河内成人のつどい実行委員会
- 概 要
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- 参加者
- 大阪府下河内7市の新成人65名、家族61名、来賓7名
教員、施設職員等スタッフ45名 計178名
平成28年1 月16 日(土)に枚方市立地域活性化支援センターにおいて北河内地域在住の2015年度に成人を迎える、障害のある方々を招待して開催された。成人式では、家族や職員、同志社大学チアリーダー部、養護学校の教員によるバンドなどのボランティアの方々の応援を得て開催され、施設・作業所で働いている障害を持つ仲間と楽しく交流を深め、思い出に残る成人時期となった。
[成人式の内容]
- スライドショー(生い立ち映像紹介)
- 新成人の紹介(舞台でスピーチ)
- お楽しみ企画(チアリーダー、バンドによる演奏・歌)
- 軽食、歓談
- 記念撮影
- 出席者のコメント
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- 前に出て挨拶して緊張したけれど頑張って話せて良かった。(新成人)
- 卒業してからn成長した子どもの姿に感動しました。(職員)
- 一般の成人式には参加できなかったので、こんなあたたかい会を企画して頂いてうれしかった。(家族)
- 障害があると分かった時からいろいろな苦労があったが、ここに集まったお友達、先生、関係者の皆さんに支えられながら、これからも親子で歩んでいきたい。(家族)
社会福祉法人 桜雲会(東京都)
バリアフリー・ブックレット「みんなで学ぼう!大事にしたい和の伝統行事」作製・普及事業
- テーマ
- バリアフリー・ブックレット「みんなで学ぼう!大事にしたい和の伝統行事」作製・普及事業
- 概 要
- 日本で伝統的に親しまれてきた行事の由来や意識などをまとめ、盲人、盲ろう者が容易に活用できるよう点字併記版・CD版で作成し、全国の盲学校、点字図書館、盲人協会や自治体、希望者に配布する。
- 実施内容
- 社会福祉法人桜雲会は、1892年(明治25年)に東京盲亜学校の盲学生の同窓会として発足し、1952年に社会福祉法人桜雲会となり、この間112年に渡り日本最古の医学書専門点字出版所として情報提供を行なっている。
今回の事業では、日本で伝統的に親しまれてきた年中行事が、一年を通じて人と人とをつなぐコミュニケーションを育むことから、年齢や障害の有無にかかわらず点字出版によって再認識しようとするものである。
事業では、活字と点字を併記し、音声CDを一つのセットにした、バリアフリーブックレットを作成した。編集では、わかりやすい説明と行事を示す図(鏡餅、鯉のぼり)を点図で表現し、視覚障害のある方がよりイメージできるような編集を行なった。
また、完成後は、点字毎日新聞、視覚障害者協会が発行する音声公報にて成果物の広報活動を行なうと共に、福祉関係施設や教育機関、団体などの希望する方々に配布を行なった。 - 参加者のコメント
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視覚障害のある方々にとって伝統行事というテーマ性は非常に重要度が高いものと考えられる。点字図書は、鍼灸・按摩等の職業参考書や哲学・語学の分野の参考書が出されているが、いずれも分量が多いことから、必要な内容を編集した本書は使いやすく、今後もテーマを変えた生活実用書の作成を要望する声は多い。
本事業の成果物は、年齢や障害の有無に関係なく、“みんなで”共有できる物であり今後も継続的に事業を行なうことで、障害者差別を解消し、共生社会への発展に寄与するものである。
ボランティア団体 ユ-・アイ・アソシエーション(兵庫県)
東日本大震災 被災地訪問活動 応援事業
- テーマ
- 東日本大震災 被災地訪問活動 応援事業
- 概 要
- 東日本大震災支援事業。震災直後の救援から復興支援を経て、現在支援活動として被災地内の仮設住宅、被災地内において、復興に向けて歩んでいる方々への訪問活動を実施している。本事業では関西の小・中・高・大学生たちを中心に訪問活動を行った。
- 実施内容
- 関西の小・中・高・大学生による被災地内の仮設住宅への支援を実施した。対象となったエリアは、宮城県名取市から岩手県久慈市までの沿岸、三陸海岸国道45号線沿いに点在する、報道などであまり取り上げられていない小さな仮設住宅等を対象に、3次に渡る訪問事業を実施し、訪問先は累計で6000世帯にのぼる。
- 第20次支援活動
- 期間2015年8月20日~23日
- 第21次支援活動
- 期間2015年12月26日~29日
- 第22次支援活動
- 期間2016年3月26日~29日
- 関係者等のコメント
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- 震災から5年たって、心配してくれる人達がいる。
- 日本全国の縁もゆかりもない無い方々が心配してくれていることに感謝します。
- 日本中で災害が起こり、忘れ去られる東北は未だに復興中である。東北被災地への訪問活動の継続が、本当に必要とされる活動である。
特定非営利活動法人 九州大学こころとそだちの相談室(福岡県)
子どもたちが安心して過ごせる居場所「ここりーと」をつくる
- テーマ
- 子どもたちが安心して過ごせる居場所「ここりーと」をつくる
- 概 要
- 不登校児童を対象に、彼らが安心して通える居場所を提供する活動。個別のプログラムやスケジュールを設けず、自由に安心して過ごせることを第一の目的とする。
- 実施内容
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- 期間
- 平成27年4月1日から平成28年3月31日までの水曜日、金曜日の計50回
- 場所
- 特定非営利活動法人 九州大学こころとそだちの相談室 (福岡市早良区)
- 利用者
- 10歳から18歳までの、学校に通うことに課題を抱える男女
- スタッフ
- ボランティアスタッフ4名、チーフスタッフ2名、シェアリング講師2名
- 活動内容
- 学校に通うことに課題を持つ学生等に対し、週一回ここりーとへ好きな時間に参加。ここりーとでは、定められたプログラムはなく、その時々にやりたいことしたり、スタッフと話をしたりして安心して自由に過ごすことができる居場所を家庭外に持つことを目指している。
- 利用者の状況
- 本年度事業における利用者は、同性同年代のグループができ、子ども同士の間で相互的な交流が見られた。関心事を同じくする利用者間では、毎回の参加を楽しみにしており、たとえばゲームの話から、自宅での過ごし方、家族間での軋轢、学校に対する思いなど内面についての話題まで話すようになった。中学三年生は進路選択の問題に対し、自分なりの答えを模索しつつ、仲間の動向や意見を聞きながらしっかり考え、それぞれの状況に合致した通信制や単位制などの学校を選び1年間の利用を終了した。
- スタッフのコメント
- ボランティアスタッフは、大学院で臨床心理学を専攻する学生と臨床心理士のチーフスタッフが活動に参加し、毎回の活動後に活動の振り返りや、不登校児童と向き合う際の戸惑い等について議論を行った。また、定期的に臨床心理士のシェアリング講師によるスタッフの相談・指導によりボランティアスタッフの育成にも務めた。
- ボランティアのコメント
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子供たちの居場所として、自分が話したいことを話すことが出来る、自分のしたいことができる場として機能することで、子供たちがエネルギーを蓄えている様子を感じることが出来た。
公益財団法人 オイスカ(東京都)
真鶴における「魚(うお)つき保安林」保全プロジェクト
- テーマ
- 真鶴における「魚(うお)つき保安林」保全プロジェクト
- 概 要
- 域域住民を主体にしたマルチステークホルダーの協働による神奈川県天然記念物「真鶴半島の照葉樹林」(旧公室御料林)の再生・保全活動。
- 実施内容
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漁業資源として、地域住民により守り育てられてきた「魚つき保安林」が、マツクイ虫被害などにより危機に貧しており、現状把握のための客観的な調査が急務になっている。
そのために今回真鶴町町有林において、①過去50年以上前の航空写真と現在の航空写真を撮影し、専用ソフトによりクロマツの生息状況の変化を確認するとともに、②エリア内43ヶ所を対象にプロット調査を実施し、樹種と胸高周囲長を計測した。これらの2つの調査結果を国立研究開発法人森林総合研究所で分析した。
その結果、①航空写真調査により、クロマツが減少しつつあるエリアと、増加しつつあるエリアがあることが確認された。②またプロット調査によりクロマツのみでなく他の樹種も含めて計933本の調査結果となった。
これらの結果について、町内報告会を開催し、町民70名を対象に現在の森林状況を共有すると共に、改めて森林保全の重要性について意識啓発を行った。
同町の魚つき保安林は、樹齢350年以上のマツやクスノキが生い茂る“御林”と呼ばれており、御林を漁業振興のみにとどまらず、地域活性化の資源として活用できるよう町をあげて保全を進めていく。※魚つき保安林:保安林のひとつ。魚類の繁殖と保護を目的に、伐採を制限または禁止している。海岸沿いのみでなく、内陸部(川の上流など)でも魚つき保安林として指定されている森林もある。つく虫・微生物が水中に入ってえさとなり、また水面上に大きな影を落とし、魚類の好む暗所をつくる。
國學院大學 大学院 特別研究員 田口 祐子(東京都)
現代における子どもの人生儀礼の変遷と地域差に関する実態調査
- テーマ
- 現代における子どもの人生儀礼の変遷と地域差に関する実態調査
- 概 要
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現代における子どもの人生儀礼に関する調査について以下3調査を実施。
- 平成26年より継続実施している東京における昭和以降の七五三の状況を知るためのインタビュー(東京在住60歳以上女性への3つの立場〔子供時代、母親、祖母〕における七五三インタビュー)の元となる明治大正期の実態を確認する。
- 1960年代に実施された産育儀礼をはじめとした実態調査(依田新ら「農家における産育儀礼ならびに年中行事の実態調査」『日本女子大学紀要 家政学部』17、1970年6月)の調査地の一つ、茨城県猿島町において当時と同項目で聞き取り調査を行い、子どもに関する儀礼の変化と当時の背景を再確認する。
- 茨城県で昨今特徴的にみられるホテル・旅館などでの「七五三披露宴」の実態と変遷を 調査し、この現象の地域性と現代性を取り出す。
- 調査内容
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現代における子どもの人生儀礼に関する調査について以下3調査を実施。
- これまで七五三は先行研究が少なく、おこりから変遷、現状に至るまで、実態を把握することが難しかったことから、調査者はこれまで昭和以降の実態をインタビュー調査してきた。その調査を補完する意味で、明治大正期の実態、変遷を当時の新聞資料から整理・収集した。今後の七五三の研究を進める上で一つの手立てを示すことが出来た。
- 依田らの研究は、戦後の特定の時期の産育儀礼の実態に関する貴重な数値データである。今回、調査地の一つであった茨城県猿島地域の方々にインタビューし、その時期に関する資料を集めることで、データについてより奥行きのある理解が可能となった。調査を通じて指摘できる重要なポイントとして、本地域では調査時にあたる60年代は生活の大きな転換期であり、産育儀礼も変化したもの、変化していないものが混在する結果となっていることがある。依田らの結果は、この地域の特徴を示しているというよりも、この時期の農村地帯における産育儀礼の特徴をよく示した結果といえそうだ。
- 茨城県におけるホテル等を利用した「七五三披露宴」は、現代における七五三の地域性を示す特殊な例といえる。この特殊な例を調査することで、新たな切り口から現代の七五三の理解を促進する手立てになると考えた。また、茨城県のホテル等の協力を得て、特殊な祝い方の地域の特定、全域の変化の様子と時期の概要を知ることができた。特に本調査より、「七五三披露宴」は現在ほとんど実施されておらず、参加者が核家族と祖父母を中心とした小規模なものとなっていることがわかった。この形は2・30年前まで実施されていたとする回答が多く、その背景に古くから農村地帯でみられた地域への世代交代の披露方法(特に子の七歳を祝う形で)と、この時期にみられた盛大な結婚披露宴の先細りを懸念するホテル側の新たな開拓案とが結びつき、またバブル期といった条件の影響が指摘できる。「七五三披露宴」は、変化する直前の七五三のやり方と結びついたため定着しなかったといえそうだ。現代における儀礼理解につながる興味深い結果を得ることができたといえる。
國學院大學 神道文化学部 教授・副学長 石井 研士(東京都)
戦後における結婚式の興隆と産業界
- テーマ
- 戦後における結婚式の興隆と産業界
- 概 要
- 戦後、結婚式・披露宴が一般化していく過程において産業界が果たした役割について調査研究する。結婚式場の形成、披露宴における様々な意匠がどのように形成されていったのか、インタビューと新聞・雑誌記事から考察する。
- 調査内容
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本事業は、戦後、結婚式・披露宴が一般化していく課程を結婚式との関わりで調査研究することにある。
それまでは家庭や神社の社務所あるいは蕎麦屋や料亭で行なわれてきた結婚式・披露宴は昭和40年代後半から次第にホテルや結婚式場へと場所を移していく。昭和50年代になっていわゆる「派手婚」も広がりを見せ始め、結婚式と披露宴を分離し、しかも多人数の披露宴が定着する。この定着過程にあっては、人々がこうした形式を望んだというだけでなく、結婚式産業が「提供した」ことの意味が大きい。結婚式産業は、利益優先で事業を展開できたのではなく、同時に当時の人々の幸せを確認する儀礼作り得たからこそ、成立した現象であった。互助会の事業内容を見ていくと、創世記は冠婚とくに結婚式産業としての事業拡大を続け、ある時期に葬祭へと足場を移していくことがよく理解できる。
互助会の草創期に活躍された方々へのインタビューでは、「なぜ多くの人々がホテルや専門式場で結婚式を挙げるようになったか」という問いに答えは「人並み」であった。一億総中流と言われるように、生活に人並であるという余裕が生まれ、地域社会や親族構造に緩みが見られるようになった時点で、指向性に分化が見られるようになる。つまり集団の中に埋没することに対する抵抗感と、より自分の趣味や趣向を前面に押し出したいと人々は考えるようになっていく。とくに、人生の重大な区切り目である結婚式に個性を反映させたいと考える人々が登場したのである。「人並み」に満足しながらも、それで個性を求めようとしたとき、結婚式・披露宴はあれだけの実施率と豪華さが追求されたと考えて良いだろう。